ブログ

 

時々「ブログ」との折り合いについて疑問を感じることがある

 

ブログは人が見る日記。

 

日記は夜 家族が寝静まってから

 

普段と違わぬノートをなんとなく 後ろのページから使い

 

短くも長くもないその日の出来事を書き記しては

 

引き出しの奥深くにそっと隠しておき

 

取り出す際は細部の変化にも気を払い

誰も触った形跡がないのを確認しては

 

時折読み返し ひとりほくそ笑む物

 

そんな日記を 人に見せるだなんて!

とも思ったが、流行っているからやってみたい

 

 

 

そんな軽いノリで初めてブログを書いたのは

15歳かその程度のころ

 

育った村を離れて 1人暮らしをするにあたり

両親に対する自身の近状報告を いつでも見れるように

 

 

 

と思い始めたもので

 

 

 

残念ながらその習慣は二ヶ月と持たず終了した。

 

 

 

 

 

そんな挫折感と共に 人に見せる日記 に対する義務的な習慣は

自分の中で完全に冷え切ってしまったのである

 

 

 

そしてその頃には ブログ は自分には向いてないからやらないしやる理由もないんだ

 

と、当然のようにそう感じていた

 

 

 

ところが

 

 

それからしばらくして社会人になったある日のこと

 

まさかのブログブームが再来する

 

 

 

それは当時18歳以上に対して紹介でしか始めることのできなかった

 

いわゆるSNSの一つ 「mixi」 との出会いである。

 

路上で弾き語り(叩き語り?)をしていた旅人に誘われたのがきっかけで

 

名前は知っていたものの事実未体験だった そのmixiにどっぷりはまって

 

その頃は毎日の日記の更新と ”マイミク” とのコメントのやり取りが楽しくてしょうがなかった

 

 

 

その時初めて 人に見せる日記 の存在意義を感じ

 

そのコメントさえも共に読み返すことができること

 

写真を添付して当時の様子をさらに鮮明に思い出せることや

 

時には会ったことさえもない人から感想の言葉をもらい

 

そのコメントをもとに 交流が始まり 

 

ついには実際に連絡を取ってお互いに顔をあわせることにまでなって

 

「本物は意外と背が高い」など まるで芸能人にあったかのような感想を述べたり

 

この 人に見せる日記 の奥深さに一喜一憂した

 

そうなってくると、ついには 日記 の枠を外れ

 

内容にも拍車がかかってくる

 

 

 

いかにしてに人の目を引くか

 

どうやって続きを読ませるか

 

長いとだめ? 短いとだめ?

 

果ては書店で専門書を読み漁ったりしたこともあり

 

 

今思えば当時の自分は 人に見せる日記 を書くために生活していた部分さえあったと思う

 

 

ところがそんなブームもやはりブームで 

 

徐々に生活の中からフェードアウトしてしまい

 

いまやSNSで最もナウい つぶやき を発し続ける毎日である

 

 

 

 

それでも時々

 

誰も見なくなった[人に見せる日記]をこっそりと読み返しては

 

当時の思い出に触れながら 一人ほくそ笑んでいるのである